Ayako

公門 彩子(くもこ)

親業インストラクター

ECCジュニア三好井川/池田駅前教室講師

今年24歳になる息子、21歳になる娘、猫2匹がいます。

子ども好き・ねこ好き・勉強好き・酒好き・フラも踊ります

講座に関するお問い合わせは、kumoko30@gmail.com へメール、

もしくは、親業訓練協会ウェブサイトhttps://www.oyagyo.or.jp/よりお問い合わせください。

記事一覧(85)

乗り越える力

あっという間に節分も立春も過ぎました。。。あー、こうやって時間と季節が瞬く間にすぎてゆくー。私の英語教室では、今年はコロナ対策もあって、動画撮影での発表会を計画しております。人前で『発表する』ことが苦手なAくん。小1の頃から、発表会の練習になると、その間だけ行方をくらましておりました(笑)(いやいや教室の中にはいるんですけどねw)今年も、ぼちぼち発表会の練習開始です。読めないところは、遠慮なく聞くこと。フリガナもふっていいよ。何回も練習しよう。じゃ、今日の時点でのチェックな。一人ずつ、見ながらでいいので読んでいってみよか。はいっ!と元気よく手を挙げた子から順番に読みのチェック。いよいよAくんの番。くるりと後ろを向くAくん。「これだったら、言えそうじゃ」と、後ろを向いて読み始めました。「これだったら、言えそうじゃ」その一言で、ハッと気づかされました。彼は彼なりに、「やらんといかん」と思ってるし、どうやったら言えるかな、って考えているのです。でも、彼には人前で発表できない理由があって、それを克服するためにはどうしたらいいか、考えてるんだなぁ。はたからみたら、ほんの小さなステップ。それでも、彼にとっては大きなステップ。行方くらまして練習しなかった彼が、ですよ(ごめん笑)「これだったら、言えそうじゃ」って練習しようとしてるんですよ。それが、なんか愛おしかったです。

認める

先日、やっと『鬼滅の刃』を観に行ってきました!生徒さんが漫画を全巻貸してくれて、読んではいたのですが、私はアニメの方が、覚えやすいし、わかりやすい!(なんてったって、国語が苦手、、、)鬼滅の刃に出てくる鬼たちって、ほぼみんな、家族のことで傷ついていたり、どうにかしようと悪戦苦闘していたり、、、煉獄さんも、飄々としているけれど、その実、やっぱり、お父さん、お母さんに認めてもらいたかったんやなぁ。。。とあらためて思う。「認める」こと、学校の先生や塾の先生なんかはやってるんですが、正直、私らじゃないんよな、、、私らでは、足りんのよな、、、と思います。子どもが自分の頑張りや成果を認めてほしいのは、私らのような他人じゃなくて、『親』なんですよね。自己肯定感って、自分を自分が認めることなのだけど、それができるようになるには、誰かに認められる、見守ってもらう、子どものときに、そういう経験があるということが、大きな助けになるように思う。そして、それは、断然、家族がいい。また、「認める」と「褒める」は、ぜんっっっっぜん、違います。『褒める』って、いいことのように思われがちですが、褒めるって、熟練の技が必要なんです。その上、褒めたのにキレられるというリスクもある。。。当たり前が、ひっくり返されますねー。

共通テスト始まりました

共通テストが始まりました。高3生、高校に入ってからずっと試練の連続でした。今も。本当に、力の限り発揮できますように!!5年前、息子がセンター試験を受けたようです。Facebookは過去の記事を時々掘り出してくれますねw私、めっちゃふざけてますねーーーー(汗)息子はどう思ったんだろう・・・。(結果的に息子は、本番で過去最高点をたたき出したようなので、結果おーらい)私は、子どもの宿題はサボりがちでした(爆)低学年の頃の「音読」なんて、聞いてもないのに、サインしまくったし、そもそも子どもが家にいる時間帯に、私が家にいないので、宿題はノータッチ。私も高校時代は、国語と社会(世界史)が壊滅的にできなくて、私の頭の中が理系っぽいもので、たぶん日常話すことも理系っぽくなりがちだったのだと思う。子どもたちが、国語の点数が悪くてもま、ママも国語はでけんかったもんねー。ママの子よ!なーんて慰めていたら、ほんまに息子も娘も国語で点数がなかなか上がらなかった。息子は、あまりに国語の点数が上がらなくて、泣きながら電話してきたこともあったっけ。言葉の力は、大きいです。「ま、ママも国語はでけんかったもんねー。ママの子よ!」これ、繰り返し何度も何度も言ってしまった。もし、言わなかったら、どうなっていただろう・・・と本当に思う。慰めてるつもりで、元気付けるつもりだったんだけど、否定的な言葉をかけてしまう。決めつけてしまう。レッテルを貼ってしまう。何気なく発している言葉、見直してみることも必要ですね。あ、それと音読は大事です༼⁰o⁰;༽ぁゎゎ後々、「あの時、音読しとったら。。。」って言われました。。。(´ε`;)

親業の本を読んでます

またまたご無沙汰なブログ更新(汗)今年は出来るだけ週1で、更新しよう!!機会があって『親業』の本を読み返しております。私のバイブル。仕事柄、保護者からさまざまなお悩みをお聞きします。『宿題』に関することだけでも、、、宿題をそもそもやらない宿題のやり方がええ加減毎日やってほしいのにやらない言わないとやらないギリギリでやっている字が汚い、荒い始める時間を決めても守らない一緒にやらないとやらない宿題やってると思って放っておいたら、ぼーっとしているいらいらしてしまう保護者の多いこと!そして、みなさん、子どものこと、めっちゃ見てるんですね!本当は、どういう子どもに育ってほしいのでしょう?親業の本の4ページに、こんな一節があります。********************恐れさせるという武器に頼らなくても、責任感の強い、自分で判断のできる、協調性のある子供を育てることはできる。罰を受ける恐れ、やりたいことができなくなる恐れ、欲しいものが買えなくなる恐れからではなく、親の気持ちを真に理解し思いやることから行動するような子供にするにはどうしたらよいかを、親は訓練を通して学ぶことができる。********************自分で考えて、行動できる子。こういう子を育てたいのではありませんか?私は、実は自分の子どもと、そして自分の教室の生徒とのやりとりの中でいろんな「実験」をしております。そこで思ったこと、感じたことを少しずつ綴っていこうと思います。

自分の言葉をもつこと

先日、念願の雲辺寺に行ってきました。うちから意外と近いし、そんなに山道を登るわけじゃないのに、標高1000m。結構高いところにありました。久しぶりのお寺は、清々しい気持ちになりました。ここのところ、悲しいニュースが続いていて、なんだか私も悲しくなったりしています。「なんで言ってくれなかったの?」ってよく言われることですが、悲しいかな、私たちは、自己表現の仕方をよく知らない。習ってないんですしー・・・。こんなことは言えない。こんなことを言ったら、迷惑をかける。こんなこと言って、変に思われたらいやだな。自分さえがんばれば。でもね、話すことはやっぱり大事。話せる、っていうことが大事なのだと思う。安心して吐き出せる場所があればいいなぁ。聞いてもらうことで、自分の声が自分にも聞こえて、変わることはある。私が親業の講座を受けて、衝撃だったのは、私はいかに自分を語っていなかったか、ということでした。相手を責めてばかりいましたよ。「わかってくれよ!」では、分かってくれないんですよね、人は。我が家には壁に亀裂があります(苦笑)壁に穴は開かなかった(爆)力が足りなかったんでしょうね(わはは)自分の言いたいことが伝わらない、そのモヤモヤは、モノに当たるしかなかった。そんな時もありました。でも、自分のことを相手に伝わる形で伝えてみる。自分の言葉をもつことで、「問題」が問題ではなくなる、ということもいくつも経験しました。言葉に出して言ってみたら、なんとかなるもんだ、と学びました。自分の言葉を持っていたら・・・その方法を知っていたら、世界は変わるかもしれません。

勉強しろ!って言ってません?

突然の学校の休校にともない、私の教室も休講を余儀なくされております。ってことは、時間ができた!ということです(笑)ここぞとばかりにブログも書くぞ!!さて、今日で、学校休校3日目を過ぎました。ここ最近、FacebookやInstagramで、子どもにどういうふうに勉強させるか!という情報があふれていて、ちょっとびっくりしています。それと同時に、子どもたちが「勉強やれ!」って言われてないか、勝手に心配しております(苦笑)今日はこれをやりなさい!って、大人が勝手に子どもが何をすべきか決めてたりしてませんか?これ、子どもが勉強しなくなる1つの要因になりうるかも。「勉強しなさい」って言われると、やる気なくなるという子が大半だから。(うちの教室のお子たち談)子どもに指示・命令してしまうのは、なぜなんでしょうね?色々理由はあるのだと思いますが、それは、子どものことを信じられないから。信頼できないから。「勉強しなさい」の中に、(私が言わないと、あなたやらないでしょ)(どれをやるか私が決めてあげないと、あなたは決めることもできんでしょ)(あなた一人でできるわけがない)こんな風に、(あなたは信用ならんな!)というメッセージが子どもに届いてしまうのかもしれません。信用されてないと感じた子どもたちは、どんな気持ちなのでしょう?勉強をやる気になるのでしょうか?でね、言われてやる子もいるんです。でもね、「これやっとかんと、かーちゃんが機嫌悪いけんな」って言います。かーちゃんのご機嫌のための勉強になっているわけです。こういう子たちをみると、非常に切ないです。おうちは学校でも教室でもありません。おうちは、エネルギーチャージの場所です。緊張感なくて当たり前かもね。私は個人的に、このお休みは、学校の勉強じゃないことをやってもいいんじゃないかな、と思っていますw横道にそれる時間も大事だと思うんだよね。きちんとやるときもあれば、きちんとやらない時間も必要だと思う。まぁ、学校で未消化の部分もあるから、そのフォローは必要だと思いますが・・・。ちなみに、うちのお子たちは長期の休みはほぼフリーでしたw子どもたちは、「うちは自由すぎてやばい」と思ってたかもしれない。でも、私はなぜか信頼できたんですよね。この子らは、やるべきことはやるし、できないことや困ったことは、相談しにくる。その信頼は、日々の生活の中で生まれてくるのだと思う。朝、起こさなくても起きてきた、とか「最近4時間目にお腹がなって困るから、もう1こパン食べとくわ」と言うとか。年齢に応じて、だんだん親がいなくてもできることが増えてきて、「なんだできるじゃん!」っていうこと、この子なりに考えてやってるんだな、という子どもの行動を発見すること、その1つ1つが子どもへの信頼感に置きかわっていくのかも。で、それって指示・命令をやめてみて、子どもを『観察』することから始まるような気がしています。この1ヶ月の休みで、子どもたちがどう変わるのか。大人の対応で、かなり変わってくるのでは?と思っています。

『待つ』ということ

インスタにもあげましたけれど・・・。こういう仕事をしておりますと、どうしても、「理解させたい」「できるようにさせたい」と思ってしまうものです。また、そういうことを期待されているのだとひしひしと感じています。『教える』という時に、より良い教材を使って、より良い指導法で、より効果的に教えていくのは当たり前のことです。でも、こうして、ああして、こうすれば、思い通りに子どもが動きできるようになる、というのは、なかなか難しいことです。子どもによって、「わかるタイミング」というのが、どうもあるような気がしています。基本的には、テストがあって、そのテストができなければ「できてない」と評価されるのが普通なのかもしれませんが、そのテストの3ヶ月後に「あ、わかった!」ってこともある。1年後、2年後に「あ、わかった!」ということもザラにあるものです。それを気長にやっていくことだな!とつくづく。『待つ』って『信じる』ってことなんですよね。きっとこの子は大丈夫だ!って思えたら、待つことができるのかもしれません。きっとこの子は大丈夫だ!って思える瞬間は、たぶん、親が手を引いた時に見えるものなのかもしれません。私がいなくても私が言わなくても私が手伝わなくてもこの子はできたやん。こういうことの繰り返しで、信じられるようになるのかもしれません。でもねー、これは、親としては、ひじょーーーーーーに、寂しい瞬間でもあります(号泣)

親の影響力は大きい

最近、価値観について考えています。私が子どもの頃は、インターネットもなかったし、うちはテレビも3チャンネル(四国放送・NHK・NHK教育)しか見れなかったし、習い事もそんなに多くの種類があったわけではないので、親や学校の先生のいうことに、なるほど、と思いましたし、学校や親の言うことは、絶対だ、正しい、と思っていました。今の子どもたちの様子を見ていると、毎日のように習い事、スポーツ、塾、宿題が終わったら、ゲーム、動画、という感じでしょうか。親もこの世代は仕事が一番充実し、忙しい時期です。親と子がゆっくりと話す時間って、ありますか?親が大切だと考えていることを、子どもに伝えられていますか?ひとりの生徒が言った言葉で、ずっと心に残っている言葉があります。おかあさんは、ずーっと同じ職場で、同じ生活やけん、ずっと変わらんのんよ。 でも私は、学校行ったり、習い事行ったり、塾にいったり、ネット見たり、いろんな大人に会って、いろんな話をして、 どんどん変わっていっきょるし、成長していっきょるんよ! その古い考えを、私に押しつけてこないでほしい!親だから。他人さんは教えてくれん。親しか教えてやれないでしょ。こうしなさい。あなたのためを思って言ってるんよ!将来、あなたが困らないように。親のあふれんばかりの愛情が、子どもをおさえつけていることもあるのです。でも、そんな形で、力で押さえつけてみても、子どもは逃げるか、反抗するか、嫌々ながらも従うか・・・。家族とはいえ、それぞれが別の人生を歩んでいます。家を出たら、それぞれが違う経験をし、それぞれが違う感じ方をし、それぞれが違う考えを持つ。面白いと思うものも違うし、関心を持つことも違う。家族だからといって、同じ方向を向いているわけじゃないのです。だからこそ、当たり前の「聞く」「話す」「対立を解く」ということに着目してもいいんじゃないかな、と思います。聞いているようで、聞いてないこと、多し。言えているようで、伝わってないこと、多しです。